インプットとアウトプットの比率

インプット vs アウトプット ビジネス・経済・経営・教育
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こんにちは、岩崎将史です。

今回は、インプットアウトプットについて、そしてアウトプットの重要性について書きます。
すでに活躍されている何かしらのプロ、つまり多くの大人においては当たり前の価値観だと思います。

今回は、主にこれから何かを学んでいこうとする学生をイメージして書いています。

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【定義】インプットとアウトプットとは?

インプットとは?

何かを学ぶ、新しい知識やノウハウを知ることをインプットとしています。
本を読んだり、講義を受けたり、セミナーに参加したり。
ブログや動画でもなんでもよいので、自分の知らなかった知識を脳に入れることをインプットといいます。

アウトプットとは?

人にわ伝わる行動アウトプットといいます。

アウトプットの種類としては例えば…

日常でのアウトプット
  • 人に話す
  • 手紙やメールを送る
  • SNSに投稿する
情報発信でのアウトプット
  • ブログをアップする
  • 動画をアップする
学業でのアウトプット
  • レポートを出す
  • 論文を出す
業務でのアウトプット
  • 作品や制作物を発表する
  • 商品やサービスを発表する

インプットした物を一度咀嚼し、人に伝える行動アウトプットといいます。

【結論】 アウトプットに重心を置くべき

研究でも作品作りでもビジネスでもどちらが大切かというのは、よく議論になります。

そしてこれは永遠のテーマなのか、「インプット アウトプット」で検索するともの凄い数の記事が出てきます。

僕自身は、「どちらも大切だけどアウトプットに重心を置くべき派」です。

【理由】アウトプットのないインプットは意味がない

なぜなら「アウトプットのないインプットは意味がない」ということがほとんどだからです。

もちろんゼロとは言いません。

全く意味がないとは言いませんが、多くの場合においてアウトプットを意識せずに、ただひたすらインプットだけをしている人をみると、無駄だなぁと感じることが多いです。

アウトプットを意識しないインプットは意味がない

究極的に意味がないとは言いませんが、アウトプットの意識もイメージもしないインプットはものすごく効率が悪いです。

中学高校の授業でのインプットを退屈だと感じる場合

多くの人が学校の授業を退屈、意味がないと感じてしまうのは、

これを知ったところで何の役に立つの?

と、その知識を活かすところがイメージできないからです。
そして、それはすごく正しい感覚です。

実際には学校の勉強というのは、そのほとんどが役にたちます。
が、学んでいる時点は具体的な絵が視えていないという意味です。


音楽、プログラミング、料理。なんでもアウトプットのために学ぶ

音楽の作り方を学ぶのは音楽を作ることが目的だからで、作り方を知っているだけでは他者からみたら知らないのと一緒です。

また実際に作って世に出してみることによって「知っておいた方がよい音楽づくりのノウハウ」というのが初めて本当の意味でみえてきたりします。

プログラミングであれば「アプリやツール、サービスを作るため」に学ぶのであって、「一通りコードを全て勉強してからプログラムづくりに初めて臨む」というのはナンセンス極まりないです。

料理もそうですし、ありとあらゆる分野が同様です。

【事例】インプットだけだと目的が明確にならず効果が低い

僕がこれまで見てきた、アウトプットがなくインプットばかりの場合の例を書きます。

作曲などアートの制作物の場合

音楽理論・作曲理論を学び知っていることに満足する人たち

大学時代に割といました。
音楽は人に聴いてもらって初めて意味をなす、と僕は考えています。

自分が聴くために作る。作っている行動自体が楽しみであり目的という人もいます。
否定はしませんが「一度も他人に聴かせずに世を去った作曲家っているのかな?」と思います。
作ること自体も楽しみですが、最終的には人に聴いてもらえるのがゴールだと思います。(数の大小は問題ではなく)

人に聴いてもらう物を作りたい
→そのためには、すこしでも良いものを作りたい
→良いものを作るために、技術や知識を少しでも学びたい


というのが一般的な衝動です。

僕もそうでした。
中学時代から本格的に音楽作品を作りはじめ、クォリティアップの1つの手段として和声学のレッスンや大学を選択しました。

学校で初めて体験し学び始めることを否定しているわけではないです。
自身で作品を作りをしアウトプットすることが同時に大切だという趣旨です。

ただ学生時代に先輩や先生の中には、作品を作ることが目的ではなく、
作曲技法を学ぶこと勉強することが目的
と公言していた人もいました。

知的好奇心として自分の知らないことを知るということは、すごく面白いことです。
それが当人にとってはたまたま作曲理論であったのだと思います。

それでも僕の感覚としては、

岩崎
岩崎

知ることがゴールなら作曲じゃなくて他の分野の方が良いのにも〜。
自分の作品に活かすために勉強するんだも〜

と考えていました。
この考えは今でも変わっていません。

意味のないインプットはない

先に書いた先輩も全く意味のないインプットをしていたのではありません。
10年後、僕が起業してから数年経っていいましたが、

某先輩
某先輩

今までは勉強が目的だったけど、ちゃんと作品を作って人に聴かせられる形にしていきたい。

と相談の電話を会社にいただきました。
そして、

某先輩
某先輩

当時、分かったと思ってたけど、作品をたくさん作りはじめて、本当の意味がやっとわかってきた気がする

とも。

そして、いくつかの作品づくりのサポートを仕事として依頼されました。
アウトプットを意識した瞬間に、視点が広がった例です。

大学での授業の場合

教科書や本をひたすら読むだけの先生がいる(らしい)

これ、よく学生から愚痴を聞きます。
大学の講義でひたすら先生が教科書に選定した書籍を読み続けるそうです。

岩崎
岩崎

だったら本読むだけでよいも〜

少なくとも複数の文献を分析しての、講師ならではの解釈や知見があれば講義として意味があるのですが。

学生
学生

もう退屈すぎて何も頭に入ってきません(笑)

90分間喋り続けても翌週には何も覚えてない

本を読だけというのは極端としても、講義だとついつい「説明」や「伝える」に熱が入って時間を使ってしまいます。
熱く丁寧に話をしまくっても、翌週に質問をすると脳にはあまり残っておらず、また同じことを説明しなければいけない、という事も多いです。

これは学生が悪いわけではなく、人間とはそういうものだと考えます。

頭と手を動かすこと、アウトプットすることが超絶大事

実際に伝えたい内容を自分の物にしてもらうには、聞くだけ読むだけ見るだけでは意味がなく、脳と手を使って「自分なりに脳内の整理整頓をする作業」が大切です。

10を伝えても残っていなければ意味がない

1回の講義で10の情報を伝えたとします。
翌週には10%しか記憶に残っていなければ、その講義を10回やったところで、100にはなりません。
10しか記憶に残らずに講義を終了することになります。

たとえ3しか伝えずとも確実に定着するやり方が効果が高い

1回に3の情報しか伝えなかったとしても、各自が頭と手を動かして、調べ、考え、工夫したことは、ほとんどの人が翌週も3の情報をしっかりと理解しています

これを4回やれば12の情報を自分の物にしたことになります。
1度で10を伝える一見中身の濃そうな講義よりも、最終的には確実にレベルアップしています。

インプットではなく、アウトプットすることによって理解が深まり定着する

1時間の中で10を伝えて終わるよりも、3つくらいに絞り、その3つを自分たちで調査、研究、発表(=アウトプット)する時間に重点をおくと、確実に各自の物になっています。

僕自身もブログや授業の資料を作ることによって「知っていたつもりだけどボヤッとしていた」ことが明確になります。
人への伝え方を考えるということが、半分以上、自分の脳のためになると思って書いています。

岩崎
岩崎

皆さんにうまく伝わっているかは、別の話だけども〜…(笑)

【結論】インプットとアウトプットは3:7

ということで僕の場合はですが、インプットとアウトプットの比率を3:7くらいで意識しています。

3時間くらいインプットの時間を作ったら、7時間はアウトプットの時間に充てる。

というようにしています、
このブログも7のうちの1つですし、仕事での作品作りも同様。

インプットのないアウトプットは意味がない

逆にアウトプットし続けるだけも意味がない、というか辛いです。

昔、関わっていた人にやたらライブ・スケジュールをいれてるんだけど、1年ぶりにあってみると何も変わってない成長していないみたいな。
単純に同じことを繰り返しているだけで変化も成長もないと、音楽表現の魅力も激減していまします。

「進歩していない」は「遅れている」のと同義でもあります。

アウトプットが目的でインプットはそのための手段

インプットとはアウトプットをするために必須な行動でです。
それぞれに相関関係がありますが、どちらかといえば、アウトプットに重心をおいた方がインプットも意義も高まり楽しみも増します。

というお話でした。

では、また。

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