My Space データ消失に考える

ビジネス・経済

こんにちは、岩崎将史です。

SNSタイムラインで今回のMy Spaceのデータ消失についての書き込みが目立ちます。その件については、こちらの記事が分かりやすかと。

僕自身はMy Spaceはやった事がないので、何の実害もなかったです。が、昨今、似たような話題が続いていますし、

「ネットにあげているものは、管理者がいなくなれば、どこかで消える」

と言う事を、もっと認識しておく必要があるなと感じました。

イノベーター的なポジションの人が良く、

「ネットの時代になったら図書館いらないでしょ」

的な話は近年、よく耳にする所です。図書館に残すべき書籍、データという意味では、しっかりとデジタルアーカイブして、公的機関が管理すれば、図書館ゼロはないとしても、必要頻度や図書館の価値、意味合いは少し変わってきます。

ただ、現状は近年のさまざまな貴重なデータは、残せる形になっているのかな?と。もちろん、公的な物は「そこまでやらんでも」ってくらい、紙になっているのでしょうが。

例えば、今回のようにMy Spaceで作品を発表していた故人アーティスト。これは、もう既に故人ですので、録音原盤を引き継いで管理運営している相続人や団体がない限り、二度と他人の耳に触れることはありません。25年前であれば、オリジナルの楽曲を公表するなら著作権であれば、音楽出版社に信託、譲渡しない事には日の目を見ることはなく、色々問題もあるとはいえ、死後も管理してもらえる状況が続いてきました。

インターネットの時代になると、音楽ビジネスはよりニッチ化して、出版社、レコード会社といった組織を介さず、個人での配信などが可能になり、組織をはなれてそういった体制に移行した有名アーティストも。

そうすると個人レベルで、プラットフォームに対するリスク管理や、自分の死後の作品の扱いについての体制を取れないと、作品自体はそれで「終了」という事になってしまう、というのが今回、より明確になったのかな、と。そして、個人レベルでは、そのような体制はまず取り用がないのでは、と。「自分の作品がめっちゃマネタイズされました。このお金を相続した人が、死後も皆さんが聴ける状態を維持してくれ」って出来なければ。

これはネット否定しているわけではなく、むしろネットがなければそのような公表も不可能だったわけです。ただ将来においての「普遍性」をイメージしてしまっている人が、実は一定数いた、というのが事実だったと思うので、「そうではない」という認識を持って、どう管理すべきかを考える必要があるな、と。

音楽であれば、趣味、娯楽という一面があるので、まだそれほど問題はなく、多くの人に関わることではないかもしれません。

多くの人に関わる分かりやすい例だと、例えば親族や友人の写真、手紙とかでしょうか。また、気になるのは、最近は様々な社会的な記事や、学術的とまではいかなくても様々な研究や分析成果の公表がネット、ブログ記事を中心に発表されてたりしないかな、と。それ自体はもちろん歓迎ですが、「検索すればいつでもみられる」というのが「間違い」であるというのが、ここ最近の状況を見ていると明らかです。

結局、データはサーバーにアップされていて、サーバーを維持するには管理者と費用が必要。資金が途切れればジ・エンド、ですので、近い将来「社会資産として恒久的に残すべきデータ」は何か?どうやって維持していくのか?という議論が必要になってくるのでは?と感じました。

ネット以前であれば、公的な物や著名な物は残るとして、個人あるいは小さなコミュニティものは基本的には廃棄。といえども、紙などの「物」として残っていれば、後世に発見されたりして当時の文化が見えてくるという事があったりします。

そう考えるとネットメディア、情報というのは「今」、もしくは「近い過去」が限定のメディアでる、その時間感覚に絞って「何をするのか」という視点である必要があるのかも、と思いました。

今、無数にアップされているYouTube動画なども、近い将来「サービス終了」かあるいは「大幅なシステムのアップデート」などによって、過去のコンテンツは「廃棄します」という時がくるのかも知れません。

そうするとやはりマスターデータをどう管理するか、というのは重要ですね。家族用の共有写真や動画なども「クラウドで」「YouTubeの限定公開で」という「だけ」なのは、考えなければいけないですね。

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